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公開日 | 地 域 | 劇場名 |
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北海道 | ||
上映終了 | 札幌市 | サツゲキ |
東 北 | ||
上映終了 | 仙台市 | フォーラム仙台 |
関 東 | ||
上映終了 | 渋谷区 | Bunkamuraルシネマ 渋谷宮下 |
上映終了 | 世田谷区 | 下高井戸シネマ |
上映終了 | 新宿区 | 早稲田松竹 (『ヘカテ』上映あり) |
上映終了 | 品川区 | 目黒シネマ (『ヘカテ』上映あり) |
上映終了 | 杉並区 | Morc阿佐ヶ谷 |
上映終了 | 横浜市 | シネマ・ジャック & ベティ |
上映終了 | 柏市 | キネマ旬報シアター |
上映終了 | 深谷市 | 深谷シネマ |
上映終了 | 小山市 | シネマロブレ |
上映終了 | 高崎市 | シネマテークたかさき |
甲信越静 | ||
上映終了 | 松本市 | 松本CINEMAセレクト |
中部・北陸 | ||
上映終了 | 名古屋市 | ナゴヤキネマ・ノイ |
上映終了 | 金沢市 | シネモンド |
関 西 | ||
上映終了 | 大阪市 | シネ・ヌーヴォ |
上映終了 | 京都市 | アップリンク京都 |
上映終了 | 神戸市 | cinema KOBE |
中国・四国 | ||
上映終了 | 広島市 | 横川シネマ |
12月7日 | 山口市 | 西京シネクラブ (『季節のはざまで』のみ上映) |
近日公開 | 松山市 | シネマルナティック |
九州・沖縄 | ||
上映終了 | 福岡市 | KBCシネマ |
上映終了 | 熊本市 | Denkikan |
上映終了 | 大分市 | シネマ5 |
上映終了 | 鹿児島市 | ガーデンズシネマ |
近日公開 | 那覇市 | 桜坂劇場 |
山岸凉子(マンガ家)
『デ ジャ ヴュ デジタルリマスター版』によせて
もしかして難しい映画なの? と心配して観てみたら……ええっ!? これってミステリー? ホラー!?
と言ってはいけないのかな? ビックリな展開!
そして人も建物も、映像のすべてが美しい!!
少し前の映画なのに、まったく古びていないのです。
合田ノブヨ(コラージュ作家)
『季節のはざまで デジタルリマスター版』によせて
「♪カプリの赤い太陽が海に沈むころ 空には青い月が輝く」何という事もない歌詞だが、シュミット描く居心地良く美しい古ホテルのバーラウンジにて、宿泊の人々と共に聴いていると、"いつの間にか失くしてしまった玩具はお月様へ行って住んでいる"という話を思い出し、ノスタルジーに浸り切ってしまう。お爺ちゃんがサラ・ベルナールの給仕をしたエピソードなんて、私だって、またあのお話してと言いたくなる。だが只のノスタルジックな映画だとは、到底思えない。主人公の少年の様に、天国や永遠について考え怖くなる子供だった方は、賛同して下さるかもしれない。語弊はあるけれど、赤ちゃんの時からずっと持っていたタオルケットの様にどこまでも優しく甘やかな、上質の「ホラー」。何故って、ラストの美しさたるや…。
鴻巣友季子(翻訳家・文芸評論家)
『デ ジャ ヴュ デジタルリマスター版』によせて
大国に挟まれた交易と緩衝の要地である小国スイスが永世中立国となった歴史の起点に、こんな知られざる政治家がいたとは!歴史(history)と物語(story)は語源的にもともと同義だ。記憶と夢、デジャヴと虚構、幻想と狂気、その境界はどこにあるのか?それらがすべて同じものであっても私は驚かない。『季節のはざまで デジタルリマスター版』によせて
山の中の、一室だけ海の見えるホテル。オーナーだった祖母と祖父たちとの思い出が甦る。南米の富裕層家族、カプリに行けばよかったと言いつつ毎年再訪する母と息子、奇術師、ピアノ弾きと歌い手、売店の売り子。回想から回想へ、語りは入れ子状に折り重なり、観る者を時間から解き放つだろう。小川あん(俳優)
『季節のはざまで デジタルリマスター版』によせて
ダニエル・シュミットが生涯で熱中したオペラ。そのアリア (詠唱) のように、オペラハウスと模されるホテルを舞台に主人公の感情の推移を通して物語が詠われる。
本作に描かれる過去と現在、そして幻想と実体には境目がなく、2つの時間と空間が重層的に存在する。
それは、シュミットの幻想を抱くことに対する自然な儀式。優美な贅沢なのだ。
私たちは劇場でフィナーレを迎えたときと同じように、全方位からの響きに包み込まれ、「海のある部屋」へと幕を閉じる。
真魚八重子(映画評論家)
一貫して、ややこしい現実の道理を度外視した映画は愉しい。『デ ジャ ヴュ』の過去が具現化した好き勝手ぶりは、意外なオチに驚かされるまで、時間から解放された奔放さに魅了される。一方、『季節のはざまで』は脳裏に浮かぶ思い出の旅だ。本来、記憶の可視化とは、極私的なスクリーンの鑑賞ではないだろうか。脳の映画館にはわたししかいない。そのわたしの過去の映像を見つめているのは、わたしという観客だけ。しかし本作はシュミットの華やかなりし少年期の記憶を、他の観客たちとともに眺めるのだ。『季節のはざまで』は稀有な思い出の共有体験である。金井美恵子(作家)
サミー・フレイが隠された鍵を使って秘密の扉から入るホテルの空間には、年月の絶望とか悲哀の埃が積っていると、私たちはつい考える。ところがそこは、あの幼い日々に見たままの、瑞々みずみずしく雑多で優雅な「天国」なのだ。記憶はいつも真新しい。山崎まどか(コラムニスト)
記憶と幻覚はどちらも白昼夢。ダニエル・シュミットの『デ ジャ ヴュ』と『季節のはざまで』では
時間と現実は消滅し、夢よりも夢のような何か、
真実に近い何かが立ち現れる。