その優美な映像と唯一無二の虚構世界により、熱狂的なファンを生み、日本のミニシアターブームの火付け役のひとつとなったダニエル・シュミットの作品。昨今でも『ヘカテ デジタルリマスター版』や盟友ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとタッグを組んだ『天使の影』などの上映により、新たなファンを獲得し続けている、そんなシュミット監督の『デ ジャ ヴュ』は1987年カンヌ映画祭で上映され絶賛を博した作品です。ふたつの現実、ふたつの時間がシュミットの魔法によって美しく混じり合う、極上の<幻想映画>である本作がこの度初のデジタルリマスター版でロードショー。(同時公開:『季節のはざまで デジタルリマスター版』)夢のような画面にあらわれるのは、謎にひきつけられ惑わされる人々、幻影の人々、山岳地帯の勇壮な自然、ものものしい古城、散りばめられた鏡やすれ違い続ける列車、狂騒的なカーニバル…。リヴェット、ロメールなどヌーヴェル・ヴァーグの作家たちの作品も手がけてきた名キャメラマン、レナート・ベルタや、R・W・ファスビンダーの『ローラ』や『第三世代』も手掛けた美術監督ラウール・ヒメネスが、一足踏み入れれば永遠に迷いこんでしまいそうな恐ろしさとときめきと共に、物語を作り上げます。音楽は『赤い影』やブライアン・デ・パルマ作品など、ジャンル、国境を超えて活躍したイタリア出身の作曲家、ピノ・ドナッジオ。また、主人公が魅了される娘ルクレツィア役には、ルイス・ブニュエルの『欲望のあいまいな対象』でデビューを飾り、後にはシャネルのモデルとしても輝いたキャロル・ブーケ。
現実がゆさぶられ、めまいし、映画の奥へと導かれてゆく『デ ジャ ヴュ』。シュミットが案内するこの旅の中で、私たちはまるで指さきからこぼれ落ちる鈴の音のような美しさと、何度も出会い直しては、発見させられることでしょう。
ものがたり…
17世紀のスイス、グリソン州独立の最大の英雄であるイェナチュは、宿敵ポンペウスを殺し、権力を手中に入れた。しかし、数年後には“謎の人物”によってイェナチュもまた殺された──。現代の記者、クリストフはイェナチュの墓の発掘を指揮した人類学者トブラーとのインタヴューの仕事を引き受けた。トブラーは一風変わった人物で、イェナチュに取り憑かれている。やがて、ポンペウスの暗殺のあった城に、末裔の老嬢プランタを訪ねた帰路、クリストフは不思議なことにイェナチュに出会う。既視体験(ルビ:デ ジャ ヴュ)に悩まされるクリストフは謎を究明するべくもう一度城に向かうも、何とそこでポンペウス暗殺の現場を目撃。そして、ポンペウスの美しい娘ルクレツィアの姿を発見し…。
1987年 / スイス / カラー / 97分
脚本:マルタン・シュテール、ダニエル・シュミット 撮影:レナート・ベルタ 美術:ラウール・ヒメネス 音楽:ピノ・ドナッジオ
出演:ミシェル・ヴォワタ、クリスチーヌ・ボワッソン、ヴィットリオ・メゾジオルノ、ラウラ・ベッティ、キャロル・ブーケ
© JENATSCH: 1987 T&C Film AG
山岸凉子(マンガ家)
『デ ジャ ヴュ デジタルリマスター版』によせて
もしかして難しい映画なの? と心配して観てみたら……ええっ!? これってミステリー? ホラー!?
と言ってはいけないのかな? ビックリな展開!
そして人も建物も、映像のすべてが美しい!!
少し前の映画なのに、まったく古びていないのです。
合田ノブヨ(コラージュ作家)
『季節のはざまで デジタルリマスター版』によせて
「♪カプリの赤い太陽が海に沈むころ 空には青い月が輝く」何という事もない歌詞だが、シュミット描く居心地良く美しい古ホテルのバーラウンジにて、宿泊の人々と共に聴いていると、"いつの間にか失くしてしまった玩具はお月様へ行って住んでいる"という話を思い出し、ノスタルジーに浸り切ってしまう。お爺ちゃんがサラ・ベルナールの給仕をしたエピソードなんて、私だって、またあのお話してと言いたくなる。だが只のノスタルジックな映画だとは、到底思えない。主人公の少年の様に、天国や永遠について考え怖くなる子供だった方は、賛同して下さるかもしれない。語弊はあるけれど、赤ちゃんの時からずっと持っていたタオルケットの様にどこまでも優しく甘やかな、上質の「ホラー」。何故って、ラストの美しさたるや…。
鴻巣友季子(翻訳家・文芸評論家)
『デ ジャ ヴュ デジタルリマスター版』によせて
大国に挟まれた交易と緩衝の要地である小国スイスが永世中立国となった歴史の起点に、こんな知られざる政治家がいたとは!歴史(history)と物語(story)は語源的にもともと同義だ。記憶と夢、デジャヴと虚構、幻想と狂気、その境界はどこにあるのか?それらがすべて同じものであっても私は驚かない。『季節のはざまで デジタルリマスター版』によせて
山の中の、一室だけ海の見えるホテル。オーナーだった祖母と祖父たちとの思い出が甦る。南米の富裕層家族、カプリに行けばよかったと言いつつ毎年再訪する母と息子、奇術師、ピアノ弾きと歌い手、売店の売り子。回想から回想へ、語りは入れ子状に折り重なり、観る者を時間から解き放つだろう。小川あん(俳優)
『季節のはざまで デジタルリマスター版』によせて
ダニエル・シュミットが生涯で熱中したオペラ。そのアリア (詠唱) のように、オペラハウスと模されるホテルを舞台に主人公の感情の推移を通して物語が詠われる。
本作に描かれる過去と現在、そして幻想と実体には境目がなく、2つの時間と空間が重層的に存在する。
それは、シュミットの幻想を抱くことに対する自然な儀式。優美な贅沢なのだ。
私たちは劇場でフィナーレを迎えたときと同じように、全方位からの響きに包み込まれ、「海のある部屋」へと幕を閉じる。
真魚八重子(映画評論家)
一貫して、ややこしい現実の道理を度外視した映画は愉しい。『デ ジャ ヴュ』の過去が具現化した好き勝手ぶりは、意外なオチに驚かされるまで、時間から解放された奔放さに魅了される。一方、『季節のはざまで』は脳裏に浮かぶ思い出の旅だ。本来、記憶の可視化とは、極私的なスクリーンの鑑賞ではないだろうか。脳の映画館にはわたししかいない。そのわたしの過去の映像を見つめているのは、わたしという観客だけ。しかし本作はシュミットの華やかなりし少年期の記憶を、他の観客たちとともに眺めるのだ。『季節のはざまで』は稀有な思い出の共有体験である。金井美恵子(作家)
サミー・フレイが隠された鍵を使って秘密の扉から入るホテルの空間には、年月の絶望とか悲哀の埃が積っていると、私たちはつい考える。ところがそこは、あの幼い日々に見たままの、瑞々みずみずしく雑多で優雅な「天国」なのだ。記憶はいつも真新しい。山崎まどか(コラムニスト)
記憶と幻覚はどちらも白昼夢。ダニエル・シュミットの『デ ジャ ヴュ』と『季節のはざまで』では
時間と現実は消滅し、夢よりも夢のような何か、
真実に近い何かが立ち現れる。